ある活動を熱心にやっていると,他人にとってはどうでもいいものに価値を見出したり,逆に他人の行動を許せなくなったりする。
典型的なのは新興宗教だ。教祖の残り湯をありがたく頂くのは正気の沙汰ではないと思う。でも,関係者にとっては,何ものにも替え難い宝物になるんだろう。
排気ガスを出しまくっている大型自動車が通り過ぎていく横で,喫煙者に対して受動喫煙を及ぼすからと主張する嫌煙活動家も結構いるし。
私たちは,都道府県・市町村のHPなどで「必ず予防接種を受けましょう」という表現がされていることが許せない。
だから,見つけ次第抗議を続けているが,大多数の方にとっては,そんな言葉に目くじらを立てなくてもという意見になるのだろう。
でも,法律で接種が義務でなくなったのに,接種を必ず受けるようにと案内する行政庁のやり方には,私たちは我慢ができないのである。
グリーンピースとかいう団体が,「横領の証拠を確保するため」と,日通から宅配便の箱を盗ってきた。
これが窃盗罪に問われ,行為者が現在勾留されている。
その勾留理由開示の裁判で,「巨悪」を明らかにする必要があった。とか主張しているようである。
反捕鯨活動をしている方々にとっては,愛してやまない鯨ちゃんの御遺体を切り刻んで,お土産にするような行為をする人は極悪人で,絶対に許せない存在なのだろう。
被疑者は,捕鯨を巨悪と言っているのではなく,横領を巨悪と言っているようだが,それが巨悪の名に値するのか,甚だ疑問だ。
まあ,確信犯というのは,そういうものなのかも。
23世紀ぐらいになったら,世界史の教科書で,この被疑者が英雄視されているかもしれないけど。
「わが国では21世紀に入ってからも,愛すべき鯨ちゃんを殺害して食べていて,世界から巨悪国家と激しく非難されていました。
2008年,その状況を打破するため,志ある人が,宅配便を盗んで巨悪に立ち向かい出しました(青森日通こそ泥事件)。」なんて記述になるのだろうか?