小学生の頃,我が家の裏山(屋敷森)には栗の木が多数生えていた。
秋になると,栗ごはんの日が何日かあった。
栗ごはんの日の前日は,子どもたちは,「栗拾い係」である。いがぐりを両足で器用に開けると,いがの中から,つややかな栗が顔を出す。それを嬉々として一心不乱に集めていくのである。
拾った栗は一晩水につけておく。
翌日,今度は父がひたすら「栗の皮むき係」である。
皮むきを始めた最初の頃は,父は雑談をしながら作業をしているのだが,だんだん無口になって,これまた一心不乱に皮むきを続けるようになる。
最後に,今度は母が「栗ごはん調理係」である。
あく抜きした後,栗ごはん用のかまどでごはんを炊くのである。
母も栗ごはんにはこだわりがあり,炊飯器ではなく,かまどで一心不乱に炊いていた。
出来上がった栗ごはんは,特別おいしかった。
思春期前でもあり,何杯もおかわりした。
あれから,20年あまり,我が家も引っ越しをして,栗ひろいをすることもなくなった。
買ってきた栗で栗ごはんを作るのは,父母ともに気乗りがしないということで,作らなくなってしまった。
あの栗ごはんは,我が家で採れた恵みを,家族みんなの努力を結晶して頂いたものだったので,特別においしかったんだ。
私も家庭を持ち,あのときの栗ごはんおいしさの本当の意味を理解できる今日この頃である。