報道の任に当たる仕事には,根強い人気がある。巨悪にペンで挑む「正義のジャーナリスト」を志す人も多いのだろう。
私らが起こしている行政訴訟の口頭弁論には,地元の新聞記者が,「開廷表を見て興味を持った」として傍聴に来て,仲間に取材をしている。
こういう草の根の事件を地元新聞が取材する姿勢は評価できる。
一方で,本当にこの記者はジャーナリズムの意味を分かっているのかと首を傾げる人も多い。
先月,私は震災に遭ったことを想定して体育館で1泊した。
その時,新聞記者も取材していたので,「一緒に泊りましょう」と誘った。
それに対しての答えは「それをしちゃうと,僕の主観が入ってしまい,客観的な記事が書けない」というものだった。
客観報道の意味をまるで取り違えている。
客観的な記事だけなら「官報」という優秀な新聞がある。第二官報とか「昨日のアメダス速報新聞」とかを創刊すればいい。
真のジャーナリズムは,豊かな経験に裏打ちされるものだと思うのは私だけなのかな?